制約の肯否がメイン
(令和8年予備試験論文式憲法)

1.令和8年予備試験論文式憲法。前回の記事(「人権享有主体性が問われていると見抜く(令和8年予備試験論文式憲法)」)でも説明したように、設問⑵は、違憲審査基準の当てはめで使う事情がほとんどない。なので、メインは違憲審査基準の当てはめではありません。メインは、「補助金をもらう条件に過ぎないのに、法的な制約っていえるの?」という点にあります。もっと理論的にいえば、本件補助金を申請する時点で要綱8条1号所定の禁止事項を遵守することに同意しているはずなので、承諾によって権利が放棄され、又は要保護性が消滅したのではないか、ということですね。

2.ここは、2段階で検討します。1つ目は、違憲な条件の法理によって法的な制約となる、というルートの検討です。違憲な条件の法理(※1)というのは、もともとは米国の判例法理で、目的と無関係かつ違憲性の強い条件を付けることを禁止する法理をいいます(樋口範雄『アメリカ憲法(第2版)』(弘文堂 2021年)68頁)。それを日本流に体現したのが、性同一性障害特例法事件判例(最決平31・1・23及び最大決令5・10・25)だったのでした。
 ※1 「違憲『の』条件の法理」と表記されることも多いのですが、「unconstitutional conditions doctrine」の訳語なので、「違憲な」(unconstitutional)が適訳と思います。

(最大決令5・10・25より引用。太字強調は筆者。)

 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への強度な侵襲であるから、このような生殖腺除去手術を受けることが強制される場合には、身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たるというべきである。
 ところで、本件規定は、性同一性障害を有する者のうち自らの選択により性別変更審判を求める者について、原則として生殖腺除去手術を受けることを前提とする要件を課すにとどまるものであり、性同一性障害を有する者一般に対して同手術を受けることを直接的に強制するものではない。しかしながら、本件規定は、性同一性障害の治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを要求するものということができる。他方で、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。このことは、性同一性障害者が治療として生殖腺除去手術を受けることを要するか否かにより異なるものではない。
 そうすると、本件規定は、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して生殖腺除去手術を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。 

(引用終わり)

(『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』より引用。太字強調は筆者。)

違憲な条件の法理
重要度:A
 自由の制約に対する承諾が給付等の条件とされ、その給付等が重要な法的利益に関わる場合には、その条件が自由の制約となると評価できる(性同一性障害者特例法事件判例、同判例における鬼丸・三浦補足意見参照)。
 ※ 最決平31・1・23。
 ※ 上記判例は、「本件規定は、性同一性障害者一般に対して上記手術を受けること自体を強制するものではないが、性同一性障害者によっては、上記手術まで望まないのに当該審判を受けるためやむなく上記手術を受けることもあり得るところであって、その意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあることは否定できない。」と判示しており、同判例における鬼丸・三浦補足意見は、「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われているため、個人の人格的存在と密接不可分のものということができ、性同一性障害者にとって、特例法により性別の取扱いの変更の審判を受けられることは、切実ともいうべき重要な法的利益である。」と述べている。
 ※ 剣道実技受講拒否事件判例も、「本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。」と判示している。
 ※ 上記の法理により自由権の制約とはいえない場合であっても、条件の設定に係る裁量権の逸脱・濫用の問題とすることは可能である。
 ※ 平等原則の問題とすることも可能な場合があり、問題文の問い方によって判断する必要がある。

(引用終わり)

 本問の場合は、子ども食堂を運営するための補助金を受けることが、「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」とか、「個人の人格的存在と密接不可分……切実ともいうべき重要な法的利益」とまでいえるかというと、そうではないでしょう。なので、上記の判例法理によっては、法的な制約があると認めることはできないのだろうと思います。

(参考答案より引用。太字強調は筆者。)

4.政治的行為の禁止は本件補助金交付の条件に過ぎず、交付を受けずに政治的行為をすることはなんら禁止されない。

⑴ 自由の制約に対する承諾が給付等の条件とされ、その給付等が重要な法的利益に関わる場合には、その条件が自由の制約となると評価できる(性同一性障害者特例法事件、同事件における鬼丸・三浦補足意見参照)。
 子ども食堂運営に人格的存在と結び付く重要性はなく、本件補助金が運営に不可欠といえる事情もないから、重要な法的利益に関わるとはいえない。法的な制約はなく、事実上の支障にとどまる。

(引用終わり)

3.次の段階は、「事実上の支障にとどまる場合でも制約と評価して違憲審査(利益考量)すべき場合があるのではないか?」という検討です。ここは、オウム真理教解散命令事件、府中市政治倫理条例事件、大阪市ヘイトスピーチ対処法条例事件があるところでした。

(『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』より引用。太字強調は筆者。)

事実上の支障であっても人権の制約と評価すべき場合
重要度:A
 精神的自由権については、事実上の支障にとどまる場合でも、制約と評価して違憲審査をすべきである(オウム真理教解散命令事件、府中市政治倫理条例事件各判例参照)。
 ※ 最決平8・1・30。最判平26・5・27。
 ※ オウム真理教解散命令事件判例は、「宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。」として違憲審査を行っているが、一方で、「解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。」と判示している。
 ※ 府中市政治倫理条例事件判例は、「本件規定による2親等規制は、議員に対し、上告人の工事等の請負契約等につき2親等内親族企業の辞退届を徴して提出するよう努める義務を課し、これに違反したと認められるときは警告や辞職勧告等の措置を講ずるとする点において、当該議員の議員活動の自由についての制約となる」とする原審の判断を是認して違憲審査を行っているが、一方で、「議員の政治的立場への影響を通じて議員活動の自由についての事実上の制約が生ずることがあり得るが、これらは議員の地位を失わせるなどの法的な効果や強制力を有するものではない。」と判示している。

(引用終わり)

(最判令4・2・15(大阪市ヘイトスピーチ対処条例事件)より引用。太字強調は筆者。)

 憲法21条1項により保障される表現の自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎付ける重要な権利であるものの、無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあるというべきである。そして、本件において、本件各規定による表現の自由に対する制限が上記限度のものとして是認されるかどうかは、本件各規定の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的な制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁(※注:よど号事件判例を指す。)等参照)。
 本件各規定は、拡散防止措置等を通じて、表現の自由を一定の範囲で制約するものといえるところ、その目的は、その文理等に照らし、条例ヘイトスピーチの抑止を図ることにあると解される。……(略)……本件各規定の目的は合理的であり正当なものということができる。
 また、本件各規定により制限される表現活動の内容及び性質は、上記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴うものに限られる上、その制限の態様及び程度においても、事後的に市長による拡散防止措置等の対象となるにとどまる。そして、拡散防止措置については、市長は、看板、掲示物等の撤去要請や、インターネット上の表現についての削除要請等を行うことができると解されるものの、当該要請等に応じないものに対する制裁はなく、認識等公表についても、表現活動をしたものの氏名又は名称を特定するための法的強制力を伴う手段は存在しない。

 (中略)

3.したがって、本件各規定は憲法21条1項に違反するものということはできない。以上は、当裁判所大法廷判決(前掲最高裁昭和58年6月22日大法廷判決(※注:よど号事件判例を指す。)、最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁(※注:札幌税関事件を指す。)、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁(※注:成田新法事件判例を指す。))の趣旨に徴して明らかというべきである。

(引用終わり)

(『司法試験令和4年最新判例ノート』より引用。太字強調は筆者。)

第6問解答
 「本件各規定は、拡散防止措置等を通じて、表現の自由を一定の範囲で制約するものといえる」と判示した。しかし、具体的にどのような意味で表現の自由の制約となるのかについては判示していない。
 本件条例5条1項では、市長において、「事案の内容に即して当該表現活動に係る表現の内容の拡散を防止するために必要な措置をとる」(拡散防止措置)とともに、「当該表現活動がヘイトスピーチに該当する旨、表現の内容の概要及びその拡散を防止するためにとった措置並びに当該表現活動を行ったものの氏名又は名称を公表する」(認識等公表)ものとされている。拡散防止措置の具体的内容について、大阪市は、そのウェブサイトにおいて、「表現内容の拡散防止措置としては、例えば、表現内容が施設に掲示されているような場合は、施設管理者への看板や掲示物の撤去の要請を行うことや、インターネット上に書き込みがなされている場合は、プロバイダに削除要請を行うことなどが考えられますが、事案の内容に即した適切な対応をとることとなります。」と説明している。看板や掲示物の撤去の要請やプロバイダへの削除要請は任意の協力を求める行政指導にとどまるから、法的な意味で表現行為を制限するものとはいえない。また、認識等公表の目的について、大阪市は、そのウェブサイトにおいて、「認識等の公表を行う目的は、ヘイトスピーチと認定した表現活動について、ヘイトスピーチに該当するものであるとの認識、事案の概要、表現内容の拡散防止のために講じた措置、ヘイトスピーチを行ったものの氏名又は名称を公表することで、大阪市がヘイトスピーチは人権侵害であり許さないという姿勢を対外的に示し、社会的な批判を惹起しその抑止につなげることです。」と説明している。特定の表現行為に対して公権力が否定的な評価を加えて公にするという点で制裁的公表としての性質を有し得るが、これも事実行為にとどまり、法的な意味で表現行為を制限するものとはいえない。したがって、上記判示の「制約」とは、事実上の制約をいう趣旨と考えることができる。
 もっとも、判例は、表現の自由のような精神的自由権については、従来から事実上の支障にとどまる場合であっても違憲審査を行ってきた(オウム真理教解散命令事件、府中市政治倫理条例事件各判例参照)。本判例は、その例の1つに加えるべきものということができる。

(引用終わり)

 これによれば、政治的行為の自由は精神的自由権なのだから、違憲審査すべき、ということになるでしょう。当てはめは頑張りすぎない。設問⑶の大魔神案件が控えているからです。ここ、理論的には無数の論点が存在していて、深めようと思えば小論文や自由作文のようにいくらでも書いていける。書いていくとどんどん議論が発散していきやすい反面、どの問題意識に配点があるかを容易に問題文からは読み取れないようになっています。こういうところは、書いても文字数の割に点にならない、というのが、これまでの確立した傾向です(※2)。問題文を書き写しさえすれば点になることが分かっている設問⑶があるのだから、そっちで頑張る。これが、憲法で安定して点を取る方法論です。制約部分をしっかり書けているなら、当てはめはあっさり合憲でも十分でしょう。
 ※2 かつては、これは知識偏重型の長期受験者を落とし、若手を受からせるための若手優遇策として機能していた傾向でした(「令和7年司法試験の結果について(14)~若手優遇策の歴史~」)。最近では、「判例無視でとりあえず中間審査」という予備校型答案を潰そうという傾向(「憲法考査委員は短答でも「判例無視」を潰しにきている(令和7年司法試験短答憲法)」)もみられます。今年の問題で中間審査できるのは設問⑵だけで、しかも、当てはめが点になりにくいように作問されているのは、その傾向に沿うものともいえるでしょう。

(参考答案より引用。太字強調は筆者。)

⑵ 精神的自由権については、事実上の支障にとどまる場合でも、制約と評価して違憲審査をすべきである(オウム真理教解散命令事件、府中市政治倫理条例事件、大阪市ヘイトスピーチ対処条例事件)。制約の必要性と、人権の性質、制約の態様などを考量し、必要かつ合理的かで判断する(よど号事件、成田新法事件、薬事法事件等、堀越・宇治橋事件における千葉勝美補足意見も参照。)。
 確かに、自由な意見表明と情報の相互受領により多数意見が形成されて国政が決定されることが民主制国家の存立の基礎である(北方ジャーナル事件判例参照)。
 しかし、団体名を示して、子育て支援に積極的な公約を掲げている公職の候補者や政党を応援する等した団体に本件補助金を交付することは、あたかもA市が当該候補者や政党を支援しているかのような誤解を与えかねず、特に子ども食堂を利用する子どもの保護者に対し、その投票に関する意思決定に影響を与えるおそれがある。禁止目的は上記弊害防止にあり、意見表明そのものの禁止を目的としない間接的で事実上の制約に過ぎない。必要かつ合理的な制約にとどまる。
5.よって、21条1項に反しない。

(引用終わり)

4.最新判例をしっかり勉強していた人は、「宮本から君へ」事件を想起したかもしれません。それを規範にした、という人もいたことでしょう。

(最判令5・11・17(「宮本から君へ」事件)より引用。太字強調は筆者。)

 本件助成金は、公演、展示等の表現行為に係る活動を対象とするものであるところ(振興会法14条1項1号)、芸術的な観点からは助成の対象とすることが相当といえる活動につき、本件助成金を交付すると当該活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されることを理由とする交付の拒否が広く行われるとすれば、公益がそもそも抽象的な概念であって助成対象活動の選別の基準が不明確にならざるを得ないことから、助成を必要とする者による交付の申請や助成を得ようとする者の表現行為の内容に萎縮的な影響が及ぶ可能性がある。このような事態は、本件助成金の趣旨ないし被上告人の目的を害するのみならず、芸術家等の自主性や創造性をも損なうものであり、憲法21条1項による表現の自由の保障の趣旨に照らしても、看過し難いものということができる。そうすると、本件助成金の交付に係る判断において、これを交付するとその対象とする活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるものと解するのが相当である。

(引用終わり)

(『司法試験令和5年最新判例ノート』付録論証集より引用。太字強調は筆者。)

・補助金交付に一般公益を考慮できるかの考慮要素
重要度:B
 交付主体ないし交付目的の公益性・公共性、法令で使途の公正等の定めがあるか等を考慮する(「宮本から君へ」事件判例参照)。
 ※ 最判令5・11・17。
 ※ 法令で交付の公正等の定めがある例として、補助金適正化法3条1項がある。同項の適用・準用があることは、一般公益の考慮を肯定する方向の要素となり得る。

(参照条文)補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律3条(関係者の責務)
 各省各庁の長は、その所掌の補助金等に係る予算の執行に当つては、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない。
2 (略)

・表現内容から一般公益が害されることを消極事情として重視できるかの判断基準
重要度:A
 公益が重要か、害される具体的危険があるかで判断する(「宮本から君へ」事件判例参照)。
 ※ 最判令5・11・17。

・表現内容から一般公益が害されることを消極事情として重視できるかの判断基準の理由
重要度:A
 公益は抽象概念で基準が不明確となるため萎縮のおそれがあり、表現の自由(21条1項)の保障の趣旨に反するからである(「宮本から君へ」事件判例参照)。
 ※ 最判令5・11・17。

(引用終わり)

 厳密には、「宮本から君へ」事件は、法律上の助成金であること、表現活動に対する助成金であること、個別具体の交付に係る裁量統制の場面であること等が本問と異なるので、判例の趣旨が直ちに妥当するとはいい難いでしょう。直感的にも、基準が厳格に過ぎると感じられます。とはいえ、「判例無視でとりあえず中間審査基準」という、およそ判例を学ぶ気が全くない予備校丸出し答案と比較すれば、「兎にも角にも判例を勉強して使おうとしている。」という点で、相対的には高く評価されそうです。表現行為への助成にはパブリック・フォーラム論が妥当するから自由権制約と同じになる、のような話(『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』「表現の自由の保障は助成金の支給請求権を含むか」の項目を参照)も同様で、補助の対象が子ども食堂運営で、表現行為ではない本問にはそのまま妥当しません。書いてしまうと、「子ども食堂運営への補助が表現の場を確保することになると思ってんの?」という消極の評価をされそうですが、「まあ勉強はしてるかな。」とある程度の評価をされる可能性もあるでしょう。

5.現在のところ、予備校は「判例無視でとりあえず中間審査基準にして、当てはめで頑張れば何とかなる。」という教え方しかしていないようなので、制約部分に論点があると何もできない感じになっています。なので、ここはほとんど白紙でも、合否には直結しないでしょう。とはいえ、制約部分に論点があるパターンは過去にも何度か出題されていますし、普通に事前準備できるところなので、対策はしておくべきだろうと思います。

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