1.令和8年司法試験論文式刑事系第1問。設問1は、概ね長崎地判平4・1・14をベースにした問題です。
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(長崎地判平4・1・14より引用。太字強調は筆者。) (犯行に至る経緯) 被告人は、昭和16年に妻Aと結婚し、終戦後復員してからは、同女の実家であるN県南O郡P町に住んで、主に建設作業員として稼働し、同女との間に子ができなかったため、昭和30年に養女Bと養子縁組をしたが、同47年に同女が結婚し家を出てからは、妻Aと2人暮らしとなり、昭和58年ころには建設作業員を辞め、同女と年金で生活をしていたものである。 被告人と妻Aとの間においては、当初こそその収入を被告人名義で預貯金していたが、その後、同女が自分名義の貯金もないと楽しみがないといったことからやがて夫婦別々に銀行口座等に貯金を持つようになり、昭和58年ころ被告人が退職し年金生活に入ってからは、両人の口座の区別が厳密になり、大きな出費がある場合には、Aの方が年金受給額が多いにもかかわらず、同女が一向に自分のお金を出さないことから、被告人において支払うことが多くなり、被告人はこのような妻のけちなやり方に不満を感じていた。被告人は、平成2年11月15日、午前中の日課である畑仕事を終えて帰宅し、午前11時ころから、台所の椅子に腰掛けて焼酎を生のままで飲み始めたところ、妻A(当時72歳)が、数日前に郵送されてきた契約者及び被保険者が被告人、保険金受取人が妻Aとなっている簡易保険の生存剰余金63万3600円の支払い通知を被告人の前に差し出し、「これは降ろすけん。」と言ってきたが、被告人は、右保険の受取人は同女になっているが、加入者で保険料を実際に負担してきたのは被告人であるうえ、直ちに金が必要な用件もなく、そのまま貯金しておけば利子がつくことから、生存剰余金は引き出さずにおこうと考えた。 被告人は、妻Aに対して、「取らずにおれば、3、4年もすると60万円は80万にもなるとぞ。今は働きよらんとやけん、入って来るとは利子だけぞ。」と言って、右引き出しに反対した。これに対し、同女は、「そげんこと言って貯めようと思っとるじゃろ。」「受取人はこっちになっとるけん、降ろす。」等と執拗に言い張るため、被告人はこれを腹だたしく思い、台所で焼酎を生でたてつづけに飲み始めた。 (罪となるべき事実) 被告人は、以上のような経緯の下、N県南O郡<番地略>の被告人方において、同日午後2時ころ妻Aが台所の被告人のもとにやってきて、なおも右通知を見せながら「名前はおいの名前じゃもん。」等と執拗に生存剰余金の引き出しを主張したため、これに立腹し、同女に対し、手挙で頭部・顔面等を殴打したが、なおも、剰余金を引き出すと言いはる同女に対し、その後同日午後11時ころまでの間、腹立ちまぎれに焼酎を飲んで酩酊の度を強めながら、数次にわたり、手挙で頭部・顔面等を殴打し、背部等を足蹴にする暴行を加えたうえ、居間に向かって押し倒し、同間にうつ伏せに倒れた同女をなおも叩こうと同間に入ろうとした際、敷居につまずき、同間東側アルミサッシガラス戸に頭を強打したことから、一層激昂し、同女の背部・臀部等を足で踏みつけ、肩たたき棒<押収番号略>で頭部等を滅多打ちするなどの暴行を加え、よって、同女に頭部・顔面及び胸背部打撲による皮下出血、筋肉内出血並びに胸骨及び肋骨骨折による胸腔内出血等の傷害を負わせ、同日午後11時ころ、被告人方居間において、同女を右傷害に基づく外傷性ショックにより死亡させたものである。 (弁護人の主張に対する判断) 一 弁護人は、本件犯行当時、被告人は多量の飲酒のため、被害者に致命傷を与えた最終段階においては心神耗弱の状態にあったから、刑法39条2項に基づいて刑の減軽をすべきであると主張するのでこの点について検討する。 二 前掲各証拠によれば、本件犯行の動機は、被告人が、妻が生存剰余金の引き出しを執拗に主張することに立腹してのものであることが認められ、それ自体充分了解可能な動機であることが認められる。しかしながら、前掲各証拠によれば、被告人は、本件犯行当日、午前11時すぎから焼酎を少なくとも1升以上、被告人の供述によれば約1升8合を飲んでおり、右飲酒量はそれ自体をとってみても、また、被告人が平素は焼酎の一升瓶を3日位であけることに比しても、極めて多量の飲酒量であることが認められる。そして、被告人の本件犯行についての記憶についてみるに、本件犯行当日の朝からの行動、妻Aと生存剰余金の件で口論になり、妻Aに対し最初の暴行を振るうに至るまでの経緯については比較的詳細な記憶を有していることが認められる。しかし、その後の記憶に関しては、被告人は、捜査段階の供述調書及び実況身分調書において、その暴行の態様を3段階にわけて説明したり、また、個々の暴行について臨場感のある供述を行っている部分はあるものの、当初の暴行を振るった以後の状況に関する供述は一貫しあるいは全体として詳細であるとは言いがたいうえ、当公判廷における供述及び第2回公判調書中の被告人の供述部分によれば、被告人は妻Aに暴行を開始して以降のことは実際には殆ど覚えておらず、捜査段階における供述は、思い出したものというよりは、妻への詫びや供養のため記憶がないのでは済まされず、何とか客観的状況に符合する供述を行おうとして考えながら述べたものである旨供述していること、Cの司法警察員に対する供述調書によれば、同女が午後3時40分ころ、被告人方に焼酎2本を配達し、被告人よりその代金を受け取っていることが認められるにも関わらず、被告人には一貫してその旨の記憶がないこと、被告人は逮捕当初においては、焼酎を飲み始めたのは午後5時か5時半である旨述べていたにも関わらず、右配達の事実が明らかになってからは、飲み始めた時間が午前11時からと大幅に変わってきており、その時間の差は単に思い違いとするには大きすぎることが認められるのであって、これらの事実に被告人の前記多量の飲酒量を考えあわせると、被告人には妻への暴行を開始して以後の記憶に関しては部分的な欠落が多くあることは否定できないものと認められる。また、本件犯行は、その動機において充分了解可能であるとはいえ、その態様は、判示のとおり外傷性ショックにより死に至らしめるほどの強力かつ執拗なものであって、それが約50年間もの長きにわたり連れ添ってきた妻に対するものであることを合わせ考えると、その動機と態様の間は著しく均衡を欠いているものと言わざるをえない。 三 ところで、本件犯行においては、被告人の酩酊下の犯行であって被告人から詳細の供述を得られないことや目撃者もないことから、被告人が妻Aに対して暴行を開始した時刻、被告人の飲酒量の時間的経過、妻Aに対する暴行の終了時刻、同女の死亡時刻などの認定について困難が生ぜざるをえないのであるが、前記Cの司法警察員に対する供述調書によれば、同女が被告人宅に焼酎を配達した時間は午後3時40分ころであり、その時点において妻Aが土間の方から台所の方にあがろうとしており、その右顔面がどす黒くなって目はみえないように腫れあがっていること及び被告人が既に酔っており興奮した様子であったが焼酎の代金は被告人が払ったことが認められることや、右配達前には被告人の供述によると当日8合ぐらい残っていた焼酎を飲んでいたことからすると午後3時40分以前において既に妻Aと生存剰余金の件で口論となり、同女に対する暴行を開始しているが、その時点での飲酒量は8合以下であり、一升の飲酒がさらにこの後に行われていること、妻Aに対する暴行は未だ同女が立ち歩ける程度のものであったことが認められ、その後、判示居間における執拗、強度の暴行が加えられ、致命傷を負わせたものと推測される。 四 以上二、三に照らして、鑑定人D作成の鑑定書の鑑定理由を検討すると、同鑑定書が述べるように、被告人は、酩酊に至るに充分な量の酒を飲んでおり、右飲酒によって、本件犯行の初めの時期には単純酩酊の状態にあったが、その後、本件犯行の中核的な行為を行った時期には複雑酩酊の状態になっていたものであって、右状態において、被告人の是非善悪を弁別する能力は著しく減退しており、それに従って行為する能力は著しく減退していた。すなわち被告人は犯行途中より心神耗弱の状態になったと認めるのが相当であると判断される……(略)……。 五 そこで、更に検討するに、本件は、同一の機会に同一の意思の発動にでたもので、実行行為は継続的あるいは断続的に行われたものであるところ、被告人は、心神耗弱下において犯行を開始したのではなく、犯行開始時において責任能力に問題はなかったが、犯行を開始した後に更に自ら飲酒を継続したために、その実行行為の途中において複雑酩酊となり心神耗弱の状態に陥ったにすぎないものであるから、このような場合に、右事情を量刑上斟酌すべきことは格別、被告人に対し非難可能性の減弱を認め、その刑を必要的に減軽すべき実質的根拠があるとは言いがたい。そうすると、刑法39条2項を適用すべきではないと解するのが相当である。 よって、弁護人の主張は採用しない。 (引用終わり) |
上記長崎地判平4・1・14は、責任能力低下の前後で行為を分断せず1個と捉えた上で、行為の開始時に責任能力があれば足りるという考え方であると評価されています(三上正隆「判批」刑法判例百選Ⅰ総論〔第8版〕75頁、亀井源太郎ほか『刑法Ⅰ 総論(日評ベーシック・シリーズ)』(日本評論社 2020年)194、195頁[小池信太郎])。この考え方によれば、責任能力のある1個の行為と把握することになるので、原因において自由な行為は問題にならない。さて、このことを知識として知っていたとして、そのまま書けば正解になるかというと、どうもそうではないと思います。
2.本問では、解答に当たり、2つの点に言及することが明示に求められていました。
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(問題文より引用。太字強調は筆者。) 〔設問1〕 【事例1】における甲及び乙の罪責について論じなさい(刑法第104条の罪、同法第190条の罪及び特別法違反の点は除く。)。なお、論述に際しては、以下の点についても言及すること。 ・ ①行為と②行為の関係をどのように把握するか (引用終わり) |
前記長崎地判平4・1・14の考え方によれば、①行為と②行為の関係は、「1個の行為」と把握すればよいのですが、「行為と責任の同時存在の原則」の意義と根拠をどうするか。これは、普通に考えれば、原自行為における間接正犯類似説(構成要件モデル)と例外(責任)モデルのそれぞれに対応した理解を問う趣旨なのだろう。そうだとすると、前記長崎地判平4・1・14のように、「行為開始時に完全責任能力があるので原自行為は問題にならないです。」ということでよいのだろうか。疑問が生じます(※1)。それと、この論点は、「責任能力低下後の行為から結果が発生した。」という点が問題の所在なのですが、本問ではそれが問題文上自明ではなくて、遅すぎた構成要件の実現の論点を経由してようやく明らかになる。これを問題提起のように簡単に書くのは難しい。それなら、2個の行為に分けた方が書きやすいのではないか。現場で、このようなことに気付きたいところです。
※1 百選解説は、長崎地判平4・1・14を例外(責任)モデルの基底にある考え方で説明できるとします(三上正隆「判批」刑法判例百選Ⅰ総論〔第8版〕75頁)。例外(責任)モデルを自説にしているなら、その筋で書くことも考えられるでしょう。ただ、通常は原因行為と結果行為は別個の行為という前提で論証を覚えているはずなので、書き方に注意を要します。とりわけ、行為の1個性のところと、原因行為の意思実現のところで論述が重複したり、意思実現の当てはめが欠落したりしてしまわないようにする必要があるでしょう。
3.そもそも、前記長崎地判平4・1・14の考え方は、行為後の介在事情に関する因果関係論が進展する前の古い理論構成です。当時は、行為後に行為者自身の介在行為があった場合には因果関係が断絶するものだと考えられていたので、別個の行為とみると、結果と因果関係があるのは第2行為だけということになり、(酩酊状態の自己を利用する意思の認められない同裁判例の事案では)心神耗弱減軽を避けられない。そこで、一連一体の1個の行為とみることで不都合性を回避しようとしていたのでした。このような考え方は、早すぎた構成要件の実現、遅すぎた構成要件の実現(ウェーバーの概括的故意)等の解釈論においても用いられていました。本問では後者が関係するので、後者を例に説明すると、砂末吸引事件において、かつては、行為が1個か否かで結論が分かれると考えられていました。すなわち、「首を絞めて海岸に運ぶ行為」という1個の行為とみれば、責任(※2)は行為開始時に存在すれば足りるので、首を絞める行為開始時に殺意がある以上は殺人の故意があり、「首を絞めて海岸に運ぶ行為」によって死の結果が発生したから殺人(既遂)罪の成立を認めることができる。これに対し、「首を絞める行為」と「海岸に運ぶ行為」という2個の行為とみると、「首を絞める行為」によっては死の結果が発生していないので殺人未遂罪しか認められず、「海岸に運ぶ行為」の開始時には殺人の故意を認めることができないので、(重)過失致死罪しか認められないと考えられていたのでした。そこでは、「首を絞める行為」と死亡結果の因果関係は、「海岸に運ぶ行為」によって当然に断絶すると考えられていたのですね。
※2 故意・過失を責任要素とする立場が前提になっています。講学上、行為と責任の同時存在の原則は原因において自由な行為の文脈で出てくるので責任能力だけの話かと思われがちですが、故意・過失を含む他の責任要素との関係でも妥当する話です。
4.上記のような考え方は、責任が行為の途中で消失・低下し、しかも、消失・低下後の行為によって結果が発生した場合に、当該結果について当初の責任による罪責を問い得る根拠が不明である、と批判されたのでした。そして、行為後の介在事情に関する因果関係論の進展に伴い、「介在事情があっても因果関係が認められるんじゃね?」ということが意識されるようになると、1個の行為か否か、という理論構成ではなく、素直に2つの行為とみた上で、先行行為後に後行行為が介在した場合の因果関係の問題として考えるようになったのでした(松原芳博『刑法総論[第4版]』(日本評論社 2025年)356、357頁。大塚裕史ほか『基本刑法Ⅰ 総論[第3版]』(日本評論社 2019年)116、117頁[大塚裕史])。近時の裁判例(奈良地判令3・2・26)も、遅すぎた構成要件の実現の事例において、そのような法律構成を採用しています。当サイト作成の『司法試験定義趣旨論証集刑法総論【第2版】』は、これを論証化しています。
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(『司法試験定義趣旨論証集刑法総論【第2版】』より引用。太字強調は筆者。) ・☆行為者自身の行為介在 (引用終わり) |
上記の理論状況は、行為後の責任能力低下の場合にも波及します。すなわち、前記長崎地判平4・1・14のように行為の1個性の問題と捉えるのではなく、2個の行為に分けた上で、完全責任能力下での行為と結果との間に因果関係があるかを問い、それが無理なら、責任能力低下後の行為について原因において自由な行為の理論の適否を問う。最近の基本書が行為後の責任能力低下の場合にも原自行為の問題になるとする(松原芳博『刑法総論[第4版]』(日本評論社 2025年)368頁)のは、そのためです。本問で、仮に、①行為と②行為を前記長崎地判平4・1・14のように1個と捉えるなら、遅すぎた構成要件の実現が問題になる③行為との関係でも、1個と捉えるのが一貫します。しかし、現在の理論状況の下で、それはさすがにダメじゃないの、という感じがするところです。
5.現在では、ほとんどの受験生が、遅すぎた構成要件の実現について、行為の1個性の問題としてではなく、因果関係の問題として理解していることでしょう。その考え方からすれば、本問の①行為と②行為も2つの行為に分けた上で、①行為についてはAの死亡結果との因果関係を検討し、②行為については原自行為論の適否を検討する、ということになる。このように考えれば、行為と責任の同時存在の原則については、②行為のところで、いつもの原自行為の論証を貼れば、無理なく解答することができたでしょう。遅すぎた構成要件の実現についても、②行為とAの死亡結果との間の因果関係のところで、③行為を介在事情とする間接実現型として自然に書けばいい。遅すぎた構成要件の実現をどこで書くか、ということを悩むこともなかったでしょう。1個の行為とした場合、①行為との間の因果関係と②行為との間の因果関係を別々に検討する必然性が失われるので、「完全責任能力があった①行為とAの死亡との間の因果関係はないが、心神耗弱後の②行為との間には因果関係がある。」という認定をどこで、どのように書くべきかが異常に難しくなってしまうのですね。
6.前記4で説明したような現在の理論状況を前提にすると、①行為と②行為を別個の行為とみる理由は、理論的には、完全責任能力と心神耗弱の違いがあるという、ただその1点に求められることになります。とはいえ、現在の論文式試験の刑法では、そのような理論的にシャープな答案は点が付きにくい。ここは、バカのふりをして大魔神するべきです。メイン論点として聞かれていることは明らかなので、規範も明示する。行為は因果関係の起点になるなどするわけですから、構成要件の検討をする前に確定しておく必要があります(※3)。なので、本問では冒頭でいきなり書くのがよいでしょう。そうすると、参考答案のようになります。
※3 間接正犯類似説(構成要件モデル)で書く場合、原自行為の適用を肯定するなら(午後7時以降の)飲酒行為が殺人罪の実行行為となり、原自行為の適用を否定するなら②行為が殺人罪の実行行為となるので、答案構成を考える際には、原自行為の適否を早い段階で決め打ちした上で、因果関係等を考えるべきです。
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(参考答案より引用。太字強調は筆者。) 1.1個の行為かは、客観・主観の両面において一連一体かで判断する。 (引用終わり) |
日本語が雑、もっときれいな日本語にすべきだ、と思ったなら、それは論文の時間制限がいかに厳しいかを理解していません。最低限、意味さえ通ればいい。最初はもっと雑に書いておいて、時間が余ったなら、後から見直して書き直すくらいでよいのです。