金沢市庁舎前広場事件の知識で解いたらダメかも?
(令和8年司法試験論文式公法系第1問)

1.令和8年司法試験論文式公法系第1問。②の「政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性」については、金沢市庁舎前広場事件を知っている人であれば、「あーあれだ。」と感じたことでしょう。でも、本問は、その知識で解いたらダメかもしれません。

2.金沢市庁舎前広場事件のポイントは、「公用物→not公の施設・notパブリック・フォーラム→政治的中立性を考慮してOK」という多数意見と、「公共用物→公の施設・パブリック・フォーラム→政治的中立性を考慮するのはNG」という宇賀克也反対意見の対立構図にあったのでした(『司法試験令和5年最新判例ノート』「チェックテスト第8問解答」参照)。

(最判令5・2・21(金沢市庁舎前広場事件)より引用。太字強調は筆者。)

 本件規定を含む本件規則は、市長の庁舎管理権に基づき制定されているものであるところ、普通地方公共団体の庁舎(その建物の敷地を含む。以下同じ。)は、公務の用に供される過程において、住民等により利用される場面も想定され、そのことを踏まえた上で維持管理がされるべきものである。もっとも、普通地方公共団体の庁舎は、飽くまでも主に公務の用に供するための施設であって、その点において、主に一般公衆の共同使用に供するための施設である道路や公園等の施設とは異なる。
 このような普通地方公共団体の庁舎の性格を踏まえ、上記2の観点から較量するに、公務の中核を担う庁舎等において、政治的な対立がみられる論点について集会等が開催され、威力又は気勢を他に示すなどして特定の政策等を訴える示威行為が行われると、市長が庁舎等をそうした示威行為のための利用に供したという外形的な状況を通じて、あたかも市が特定の立場の者を利しているかのような外観が生じ、これにより外見上の政治的中立性に疑義が生じて行政に対する住民の信頼が損なわれ、ひいては公務の円滑な遂行が確保されなくなるという支障が生じ得る。本件規定は、上記支障を生じさせないことを目的とするものであって、その目的は合理的であり正当である。

(引用終わり)

(同事件における宇賀克也反対意見より引用。太字強調は筆者。)

 多数意見は、本件広場が本件規則において庁舎等の一部に位置付けられているとの理解を前提として、本件を庁舎等の管理の問題として論じているが、私は、本件広場は公共用物であり、地方自治法244条2項にいう公の施設ないしこれに準ずる施設に当たるものと考える。

 (中略)

 原判決は、公用物と公共用物の二分法をとり、本件広場は、公用物である庁舎等の一部であるから、公共用物である公の施設に当たらない旨判示している。
 しかし、ここでは、仮に本件広場が広い意味での庁舎に含まれるとしても、本件広場を公共用物と解することが可能であり、上記アの検討は左右されないことを指摘しておきたい。
 そもそも、公用物と公共用物の区別は、常に截然とできるわけではない。一口に庁舎といっても、宮内庁の庁舎のように国民が訪れることがほとんどないものから、住民票の写しや戸籍の謄抄本などを発行する市区町村の出張所のように広く住民が利用するものまで様々である。また、公立学校は公共用物に分類されることが多いが、学校施設は、当該学校の生徒に対する教育のためのものであり、当該学校の教職員又は生徒以外の者が自由に利用できるわけではないので、道路や公園のように何人でも自由に利用できる公共用物とは性格を大きく異にする。このように、公用物や公共用物の性格にはグラデーションがあり、単純な二分法を解釈論上の道具概念として用いることには疑問がある。
 さらに、公用物の場所や時間を限定して公共用物として利用することは広く行われるようになっている。例えば、庁舎に係る建物の最上階を展望室にして、一般に開放している例があるが、この場合の最上階は、公用物というより公共用物であろう。また、利用者の範囲が限定された公共用物を場所と時間を限定して一般に開放する取組も進められてきた。公立学校の施設についても、校庭を休日に限定して一般に開放することは珍しくなくなっているが、このような場合の休日における校庭は、公園と同じ機能を果たしているといってよい。この例のように、公用物や利用者の限定された公共用物であっても、空間的・時間的分割により、広く一般が利用可能な公共用物になることがあるのである。
 本件広場を含めた(広義の)庁舎についても、本件広場に空間を限定し、かつ、休日等、騒音等により市の公務に支障を与えない範囲で公共用物としての利用が行われてきたとみることもできる。
 以上のとおりであるから、公用物は公用物としてしか利用し得ないという論理は、行政の実態とも適合しておらず、本件広場の利用の実態等を十分に吟味せずに、本件広場への本件規則の適用を前提とすることには賛同し難い。

 (中略)

 本件広場は、公の施設としての性格を有しており、集会のための使用は、その目的に沿った使用であるから、本件では、最高裁平成元年(オ)第762号同7年3月7日第三小法廷判決・民集49巻3号687頁(以下「泉佐野市民会館事件最高裁判決」という。)の基準に従って、地方自治法244条2項の「正当な理由」の存否が判断されるべきであったと考えられる。

 泉佐野市民会館事件最高裁判決の判示を前提とすれば、公の施設における集会の不許可につき「正当な理由」が認められるためには、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が集会の自由を保障することの重要性に優越している場合でなければならず、かつ、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解すべきである。

 (中略) 

 結局、本件広場を本件集会のために使用することを不許可にした理由は、もし本件集会を許可した場合、市が本件集会の内容を支持している、あるいは本件集会を行う者を利しているなどと考える市民が、市の中立性に疑問を持ち、市に対して抗議をしたり、市に非協力的な態度をとったりして、市の事務又は事業に支障が生ずる抽象的なおそれがあるということに尽きる。しかし……(略)……そのような理由は、「正当な理由」には当たり得ないと考えられるから、本件不許可処分は違法であり、これと異なる原審の判断には地方自治法244条の解釈適用を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるといわざるを得ないから、原判決は破棄を免れない。

(引用終わり)

 このことからすれば、本件公園は公の施設であることが問題文上明確なので、泉佐野基準が適用されて、そもそも政治的中立性を考慮するのはNG、直ちに違憲、となりそうです。しかし、前に説明したとおり、その筋は採れない(「難しい憲法論で無理しない(令和8年司法試験論文式公法系第1問)」)。なので、上記のポイントを覚えていても、それをそのまま使って書いたらダメなのです。ちなみに、上記宇賀反対意見で述べられている理論は、「空間的場所的分割使用論」と呼ばれる宇賀教授の昔からの持論です(宇賀克也『行政法概説Ⅲ〔第5版〕(有斐閣 2019年)555頁)。前に、夜間の公園はパブリック・フォーラムでない、という考え方を説明しました(「難しい憲法論で無理しない(令和8年司法試験論文式公法系第1問)」)が、同じ公園であっても、「昼間は公共用物(パブリック・フォーラム)だけど、夜間は公用物(非パブリック・フォーラム)」という時間的分割があり得るという考え方は、上記宇賀説に通じるものといえるでしょう。ただし、宇賀教授の主眼は「公用物の一部を公共用物とみる(市民の利用を広げる)。」というリベラルな方向性にあるので、伝統的パブリック・フォーラムの一部を非パブリック・フォーラムにするという非リベラルな方向性で使うことには、宇賀教授自身は賛同しない感じがします。

3.宇賀克也反対意見は、次のようにも述べています。ちなみに、同反対意見中の「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」というのは、曲がっている牛の角を矯正しようとするあまり、肝心の牛を殺してしまった、という中国の故事(「矯角殺牛」)から、小さな一部を気に掛けて全体を失うことを意味しています。

(最判令5・2・21(金沢市庁舎前広場事件)における宇賀克也反対意見より引用。太字強調は筆者。)

 一般職の公務員による法の執行に政治的中立性が要請されることは当然であるが、首長や議員は、特定の政策の実現を公約して選挙運動を行い当選しているのであり、市長や市議会議員が立案して実行する政策が政治的に中立であることはあり得ない。そして、市民の中には、様々な意見を持つ者がおり、被上告人の政策に不信感を持つ者も当然存在するはずであり、被上告人に対して抗議をしたり、被上告人に協力したくないと考えたりする者もいるかもしれないが、そのように被上告人の政策に批判的な市民が存在し、実際に被上告人の政策を批判すること自体は、民主主義国家として健全な現象といえ、それを否定的にとらえるべきではない。もとより、仮に、そのような市民の中に、常軌を逸した抗議を行ったり、被上告人の事務又は事業を妨害したりする者がいれば、民事訴訟を提起したり、不退去罪、威力業務妨害罪、公務執行妨害罪等に該当するとして公訴の提起を求めたりするなどの対応をとらざるを得ないことになるが、そのような極端な場合が抽象的にあり得ることを理由として、本件広場の使用を許可せず、集会の自由を制限することは、角を矯めて牛を殺すものといわざるを得ない。

(引用終わり)

 この考え方によるならば、本問では、そもそも「政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性」があるかないかなんて関係ない。そんなのはおよそ不許可の根拠になり得ないんだ、ということになるでしょう。しかし宇賀先生、それはちょっとちゃぶ台をひっくり返しすぎではありませんか。設問をもう一度見てみましょう。

(問題文より引用。太字強調は筆者)

甲:「夜間の独占使用を認めるべき特別な理由」に関わるもう一つの問題として、夜間の利用は禁止が原則ですので、特定の政治的主張を行うための夜間の独占使用を認めたら、A市の政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性があります。

乙:なるほど。Xの夜間の独占使用を認めると、A市の政治的中立性が損なわれるのではないかという点についても、憲法の観点から検討する必要がありそうです。そこでお尋ねしますが、過去の夜間の独占使用に関して、政治的中立性を理由として抗議等があったケースはあるのでしょうか。

甲:はい。市内の経営者・商店主が組織する「新幹線延長を求める市民の会」から、本件公園で午後7時から午後9時まで無料ビアガーデンを開いて、帰宅途中の市民に新幹線延長の必要性をアピールしたいとの申請があったので、市長が夜間の独占使用を許可したところ、市議会で延長反対派の議員が政治的中立性の観点から問題ではないかと質問しました。市長は「新幹線延長は市長選の際の私の公約であり、A市の基本政策の一つであるから、その御批判は当たらない。」と答弁しました。

(引用終わり)

 解答対象とされているのは、「A市の政治的中立性が損なわれるのではないか」という点です。普通に考えると、これに対する端的な解答は、「はい、A市の政治的中立性が損なわれます。」、「いいえ、A市の政治的中立性は損なわれません。」のどちらかでしょう。「A市の政治的中立性?そんなの考慮すること自体がおかしいんじゃ!」というのは、解答になっていない気がする。仮に、乙の発言が以下のようなものなら、上記宇賀克也反対意見が正解筋になり得ると判断してもよかったでしょう。

(問題文を一部筆者が改変したもの。太字強調は筆者による改変部分)

甲:「夜間の独占使用を認めるべき特別な理由」に関わるもう一つの問題として、夜間の利用は禁止が原則ですので、特定の政治的主張を行うための夜間の独占使用を認めたら、A市の政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性があります。

乙:なるほど。そのような危険性をもって不許可の理由とすることができるかという点についても、憲法の観点から検討する必要がありそうです。

(引用終わり)

 それから、過去に政治的中立性を理由として抗議等があった例が、わざわざ挙がっている。これは、本件活動との比較を問う趣旨ではないか。そうだとすると、「過去の例は確かに政治的中立性に対する市民の信頼を損なうおそれがあったといえるけれど、本件活動については違うでしょ。」というのが、解答の筋になるのではないか。宇賀克也反対意見のように、「そもそも市長が政治的に中立とかあり得んのだから関係ねぇよ。」と言い放って足りる問題ではないような気がします(※)。ちゃぶ台はそのままで解答したいのです。
 ※ 敢えて宇賀克也反対意見の筋で書くのであれば、この新幹線延長事例は、市長が公約を実現しようとするのは当たり前であり、中立的ではあり得ない証左である、と位置付けた上で、議員から質問があった件については、議会で議論するのは健全な民主主義のプロセスであって、他に常軌を逸した行動をとる者はいなかったんだから何も問題ない、と言い張ればよいのかもしれません。そこまで書けば、それはそれで評価されそうな感じもします。

4.そんなわけで、参考答案は、金沢市庁舎前広場事件に触れることなく、現場思考で過去の例との違いを指摘する方針に立って、大魔神案件として書いています。

(参考答案より引用。太字強調は筆者)

 昼間の利用は禁止が原則でないことから、本件条例5条1項の許可では在留外国人共生国際交流団体活動紹介行事のほか原水爆禁止集会が開催されたことがあるが、夜間の利用は禁止が原則であるため、特定の政治的主張を行うための夜間の独占使用を認めると、A市の政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性があるとの立場が考えられる。
 確かに、「新幹線延長を求める市民の会」に夜間独占使用を許可したところ、市議会で延長反対派の議員が政治的中立性の観点から問題ではないかと質問した例がある。本件公園南側に隣接する中央大通りを挟んだ反対側の地区は10年前に廃止された県立女子短大の跡地で、再開発が行われ、数棟の超高層住宅と大型商業施設が建設された。A市において、同跡地利用をめぐって市民の間で意見が対立し、その場所で進められた再開発について現在まで賛否が分かれており、再開発の結果としてA市の中心部で住宅費は高騰したため、市民の間からそれを問題視する意見が出始めていた。本件活動は本件プロジェクト参加という政治的意義だけでなく、A市の上記再開発を批判するローカルな政治的主張ともなり得る。
 しかし、上記の例では、市長が市長選で公約としたA市の基本政策を支持する内容であるため市長が恣意的に許可した疑いが生じ得るもので、無料ビアガーデンを開いて帰宅途中の市民に新幹線延長の必要性をアピールするという利益誘導とも受け取れる要素があるのに対し、本件活動はA市の政策を批判するものであるため市長が恣意的に許可した疑いは生じにくく、活動中、数名の報道関係者を除き、会員外の一般市民が公園内に立ち入るのは認めない予定であるから、利益誘導の要素もない。
 以上から、政治的中立性に対する市民の信頼が損なわれる危険性はない。

(引用終わり)

 ポイントは、本件活動が、世界的なプロジェクトへの参加という抽象的な意味だけではなくて、市民間で意見が対立しているローカルで具体的なA市の政策に対する批判としての政治的意味もある、という点です。その意味では、新幹線延長の例のように、市民間の軋轢や不信を呼ぶおそれはなくはない。ここは、書き写すべき問題文の要素があるので、頑張って書き写すべきでしょう。その上で、自分の公約をタダ酒を配ってアピールする活動を許可するのと、今回の活動を許可するのとは違うでしょう、ということを書けばよいのでしょう。このような要素もあるので、宇賀克也反対意見に立って切り捨てる、という書き方は、やっぱり違う気がするのでした。一部では、「これは金沢市庁舎前広場事件を知ってますか?って問題ですね。知ってたら簡単でした。」のような解説がされるかもしれませんが、当サイトは、それは違うと思います。

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